×延暦十八年(799)

 和田(1884)は延暦十八年の噴火の史料記述を紹介し(後述の「永禄三年または四年」の項参照),Wada (1884)とMilne(1886)もそれを踏襲している.しかし,その噴火開始・終了の日付(三月十四日と四月十六日)が延暦十九年噴火(三月十四日と四月十八日)とほぼ同じこと,溶岩流が猿橋に達したという記述が「宮下文書」中の延暦十九年噴火についての記述と一致することから,和田のみた史料は延暦十九年噴火を誤って延暦十八年と記述したものであろう.


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