1.はじめに

  富士火山には,1707年12月16日から約16日間にわたった宝永噴火に代表される,歴史時代のいくつかの噴火記録が知られている.宝永噴火は,近世の江戸近郊で起きた大規模な噴火であったため,多数の同時代史料が残されている.しかし,宝永噴火以外のほとんどの歴史噴火については,ごく簡単な記述が残されているのみである.
 このような限られた数や分量の史料であるにもかかわらず,火山学者の手による従来のほとんどの研究においては,史料の出自や性格などにもとづいて記述の信頼性を吟味するという,文献史学の上では当然とされる手法が適用されたことはなかった.これまでの多くの富士火山の歴史噴火研究は,日本の他の火山の場合と同様,史料記述を機械的に事実とみなしてなされてきたのである.それゆえ,信頼性の低い史料の記述内容を含んだ噴火史年表が作られ,それらにもとづいて噴火の規則性や南海トラフ地震との関連性の検討がなされたり,解説書や観光ガイドブックの形で不正確な知識が一般市民に説明されたりしていた.
 小山(1998a)は,このような状況に鑑み,富士山の歴史時代の個々の噴火記事についてできる限りの信頼性の吟味をおこない,その時点で得られる最良の噴火史年表を提供した.本論は,小山(1998a)の結果に,その後判明した知見にもとづく修正・加筆を加えたものである.記録の分類や信頼性の評価についても若干の見直しをおこなった.なお,富士山の噴火堆積物の層位と年代については,産業技術総合研究所による図幅調査が進行中であり,膨大なデータが得られつつある(たとえば,山元・他,2005).それらにもとづく歴史記録と噴火堆積物との対比については将来の課題としたい.また,明治以降の土石流や雪泥流の記録については,本論では収集の対象としなかった.


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