×宝永五年(1708)

 嘉永元年(1848)に成立した江戸の年代記『武江年表(ぶこうねんぴょう)』の宝永五年条に「閏正月三日,武蔵,相模,三河国々砂降る」とある.また,武者(1943a)は,文化元年(1804)の例言がある史書『続日本王代一覧』の同月同日条から「武州・相州・駿州の内砂降の郡村所務難渋の私領村替仰出さる」を引用している.これら2史料をもとに,武者(1943a)は宝永五年閏正月三日(1708年2月24日)に富士山が再び噴火したと推定している.
 しかし,この日は江戸幕府が,宝永四年噴火による被害の著しい大名・旗本領を一時公領とする令を発した日であり(上記『続日本王代一覧』の記述はまさにそのことを述べている),『武江年表』の著者が降砂による領地換えの記事を降砂そのものと誤解したとみるべきである(石橋克彦,1998,私信).よって,宝永五年噴火記事は誤りと考える.


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