武者(1941)は,天保十二年(1841)に大野広城が完成させた年代記『泰平年表』から「富士山噴火,江戸雨灰四日,其色黒」を引用しているが,該当する記述は『泰平年表』(続群書類従完成会刊)には見あたらない.武者(1941)は,同じ記述が『校正王代一覧』にもあるとし,さらに『結〓(くちへん+牟)録』から「寛永四年十一月二十三日富士山焚ケ,江戸黒灰降ルコト四日」という記述を引用している.しかし,『校正王代一覧』『結〓(くちへん+牟)録』という名の史料はともに国書総目録に見あたらず,素性不明である.
いずれにしろ,十一月二十三日という日付は後述の宝永噴火の開始日と同じだから,「寳永(宝永)四年」のところを「寛永四年」と誤って記したものである可能性が高い.