○応永三十四年(1427)噴火?

 武者(1941)は,『信濃國淺間嶽記』の一節「応永三十四年六月四日(1427年6月28日),富士と淺間虹□吹き」を八木(1936)から引用し,富士山および浅間山の噴火記事とみなしている.八木(1936)を入手していないが,『信濃國淺間嶽記』は国書総目録にある『浅間嶽之記』(別名『信濃国浅間嶽之記』)と思われる.
 この史料は萩原(1993)が校訂し,天明三年(1783)噴火部分だけを『信濃国浅間ヶ嶽の記(抄)』として示しているが,天明噴火より前の噴火年表が書かれていたという前文は省略されているため確かなことは不明である.
 萩原(1993)によれば,同史料は,主として浅間火山の天明三年噴火を記録するために天明六年(1786)に長野県北佐久郡において書かれたものである.1427年から360年ほど経た時代の記録であり,他の浅間山噴火関係史料にも同種の記述は見られないため,当該記事の信頼性は低いと考える.


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