□元弘元年(1331)地震と崩壊?

 14世紀後半に成立したとされる軍記物語『太平記』に「(元弘元年)七月三日,大地震アリテ,紀伊國千里之遠潟,俄ニ陸地ニ成事二十餘町也,又同七日酉刻ニ,地震アリテ,富士之禪定崩ルゝ事数百町也ト」(巻二,西源院本)とある(萩原・他,1995).
 元禄四年(1691)にまとめられた『太平記』の注釈書『参考太平記』では,「富士之禪定」は「富士ノ絶頂」となっている(武者,1941).また,『参考太平記』では史料による上記地震の日付の食い違いが議論されており,『太平記』今川家本の元弘元年十月,金勝院本の元弘二年七月,北条家本と『神明鏡』(15世紀中頃に成立した史書)の元徳二年七月は正しくないとされている(萩原・他,1995).このように中世史料中ですでに日付の食い違いがあるため,武者(1941)に引用された『桜雲記』と『本朝年代記』(ともに江戸時代以降に成立)に記された日付もまちまちである.
 上記2つの地震のうち,七月三日の紀伊半島の地震記述について文献史学的および地理学的調査をおこなった萩原・他(1995)は,地震隆起や地震の存在そのものに否定的見解を述べている.しかし,1331年頃は京都で記述された日記がほとんど現存しない期間にあたるから,紀伊半島の地震隆起は誇張であるとしても,地震の存在そのものを否定するのは行き過ぎと思われる(小山,1999).
 つじ(1992)によれば,静岡市駒形にある日蓮宗感応寺の第三代住職日寿の伝記に「元弘元年七月七日の大地震のため富士市にあった感応山滝泉寺が崩壊し,その後駿府に移転されて改名されたのが今の感応寺である」との内容が記されているという.また,この震災と寺の移転については日蓮宗関係の文書集成である『日蓮宗宗学全書』中の記載とも一致するという.このことから,つじ(1992)は,元弘元年七月七日の富士地域の地震を事実と考えている.
 よって,元弘元年七月七日(1331年8月11日)に起きた地震の際に富士山が大規模な崩壊を起こした可能性は,今後十分な検討に値すると考えられる.


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