平林(1898)は,『富士大縁起』,『詞林菜葉抄(しりんさいようしょう)』,『伊豆山縁起(いずさんえんぎ)』の3つの史料を引用して,孝安天皇三年・四十四年・九十二年,孝霊天皇五年・清寧天皇三年・宜化天皇代の合計6回の噴火記事をリストアップしている.井野邊(1928)は,さらに多くの伝説を年代順にまとめている.しかしながら,これらの記事は具体的な記述に乏しく,かつ富士山が「湧出した」「出現した」等の神話的な内容がほとんどである.唯一の「現実的」な記述は,『走湯山縁起(そうとうさんえんぎ)』(『伊豆山縁起』)にある「清寧天皇三年壬戌三・四月,富士浅間山焼崩,黒煙聳天,熱灰頻降,三農営絶,五穀不熟,依之帝臣驚騒,人民愁歎」であるが,降灰の激しい噴火があったということ以外の具体的事実は不明である.
なお,『日本書紀』中の6世紀前半以前の年月日のほとんどが創作されたものであり,実年より古い側にバイアスがかかっていること,その時代の大和朝廷や各天皇の実在の真偽自体に議論があることは,現代の日本史学者が広く認めるところなので,この期間については誤解を避けるために西暦年換算をあえて施さない.
『詞林菜葉抄』は貞治五年(1366)成立の,万葉集の注釈書である.『走湯山縁起』は,熱海市伊豆山神社に伝わる史料であり,平安時代末〜鎌倉時代頃の成立と考えられている.また,つじ(1992)によれば,『富士大縁起』は『詞林菜葉抄』中の一文である.
よって,これらの史料はすべて後世に成立したものであり,神話や伝説とみなしてよいものであろう.何らかの噴火伝承を反映した可能性もあろうが,ここであえて取り上げて検討する価値があると思えない.なお,7世紀後半から8世紀前半と推定される富士山の煙を題材にした和歌が『万葉集』や『柿本集』などにあるが(つじ,1992),そこから具体的な噴火記述を得ることは困難である.